2010年4月・院内集会

「マンション屋上の携帯基地局と体調変化の経緯」
新城明美さん(元看護師)



 新城明美と申します。二人で今、沖縄で呼ばれた所にはどこでもお話をさせていただいております。この事実をたくさんの人に伝えなくてはいけないと本当に毎日思っております。
 まず、家族構成です。夫、47歳、内科医です。彼は結婚してからずっと平成20年12月31日まで、週7日のうち5日を研究して2日だけ働いておりました。うちには子どもが4人もおりますので、なんでいつまでも勉強ばかりしているんだろうと思っておりましたが、こういう目にあって、そして彼がどんどん電磁波のことを勉強するにいたっては、この分子生物学という研究をやり続けていて良かったと今は思っています。そして、その力が皆さんの心にも届くと思っております。
 私は妻47歳、主婦です。県立病院の看護婦をしておりました。長女高校2年生、次女中学3年生、三女中学1年生、長男小学校6年生の6人家族です。
 次に経過の説明をさせていただきます。
 私どもは平成9年から12年まで栃木県の自治医科大学におりました。主人の研究の関係でそちらに住んでおり、平成12年に沖縄へ戻りました。

マンション入居後すぐに体調悪化

 平成12年に10階建てマンションの3階に最初、賃貸で入居しました。その時、800MHzの基地局が建っていました。沖縄では全然、「電磁波」という言葉も聞いたことがなくて、私たちはそのマンションに基地局が建っているということもわからずに住んでおりました。
 入ってすぐに長女が、そして夫が鼻血を出すようになりました。長男もまだ幼稚園でしたが、不整脈が出て検査をしたという経緯があります。その後4年たちまして、平成16年12月に10階建ての10階部分が空きまして、分譲で購入しました。この時ももちろん、基地局が建っているとはわからずに、頭の上に基地局が建ったまま購入しました。
 そして平成17年6月、住み始めて半年くらいたちまして、私はパートで、看護婦で働いておりましたけれども、急に手のしびれと全身の発汗、口渇(こうかつ)が出ました。なんでだろうな、と思いましたが、他の看護婦さんに「更年期、更年期。手の痛みは、アイロンをぶらぶらしたら治るよ」と言われましたが、アイロンどころか箸も持てなくなり、食器も割ってしまうということが続きました。
 6月から3ヶ月たった9月には体重が10kgほど痩せました。右肩の方からお産するほどの痛み(女性の方ならわかると思いますけど)が出て、昼も夜も寝ていられないし、夜はずっと湯船の中で浸かっていました。あまりにもふやけるので、ちょっとクーラーにあたって、また湯船の中で眠っておりました。そして4カ所の病院を点々とし、MRI、CT、採血、レントゲン等、いろいろ検査しましたが、どこも異常がないという結果で、「精神科へ行きなさい」と言われました。私は「こんなに痛いのに」と毎日泣いて暮らしておりました。

入院、薬を飲み続ける

 ペインクリニックでRSD(反射性交感神経性ジストロフィー。Reflex Sympathetic Dystrophy。激痛や灼熱感が持続し、神経や筋肉が萎縮する)という病名がつきました。私の場合は、右上腕反射性交感神経性ジストロフィーというものです。この病気は四肢に広がっていく。また、ジストロフィーというのは弱っていくということなのですが、神経が弱っていく病気だと言われました。
 入院しなさいと言われましたが、その時、一番下はまだ小学校1年生で、上は小学校6年生で、主人は相変わらず研究ばかりしていましたので「入院なんかできません」と言いましたら、翌日に「そのままだったら死ぬ」と言われたので、仕方なく入院しました。入院してから、右の肩甲骨下から硬膜外チューブをいれて24時間、麻酔薬を流しました。モルヒネ坐薬も使っていました。のどの真ん中にある星状神経、右頸部の腕神経からステロイドを週3回入れておりました。
 約8ヶ月入院しまして平成18年5月3日、退院しました。そしてステロイドの治療は週3回続きまして、硬膜外チューブは抜きました。頭からセロトニンという痛みを起こす物質が出続けているので、向精神薬、抗てんかん薬、抗うつ剤、抗安定剤、ビタミンB12など10種類18個の薬を飲み続けました。
 翌平成19年11月になりまして、分譲で購入していたのでマンションの理事会に参加し、主人が理事になりました。その時に、携帯基地局の増設工事があると聞いて帰ってきました。私は、「ここに携帯の基地局があるの? 大丈夫なの?」と聞いたら、夫は「なんか、ずっとあるから、ただ工事らしいよ」と言いました。それが初めて携帯基地局があるという事実を知った時でした。

2GHzアンテナ増設後、病状が悪化

 翌平成20年3月、増設された2GHzの基地局が稼働を始めました。
 1週間くらいで長女がまず鼻血を出しはじめました。布団が真っ赤になり、ごみ箱の中は血だらけでした。私は「ケータイばっかりいじっているからよ」とか、「鼻毛切ったんじゃないの」とか言っていました。しかし、3週間目に右鼻の動脈が切れました。8時間血が出っぱなしで動脈の手術をしました。翌週には左の鼻の動脈が切れました。
 次女は耳の圧迫感を訴え、ピアノを弾いている時にも眠るというような変なことになっていて、私は「あなた、夜に何かしているんじゃないの」と怒っていました。
 三女は生まれて初めて鼻血を出しました。
 長男は小学校4年生でしたが脈が200にあがり、不整脈になりました。
 夫は高速道路を運転中、意識が遠のいて危うく車をぶつけるところでした。また、夜眠れずに大酒を飲んで、3時間くらいで「頭が痛い」と言って起きてくるようになっていました。そして鼻血は頻繁になり、全身の倦怠感が続きました。
 私はRSDの症状がさらにひどくなり、右手はびりびり電流が流れるような感じになっていました。右手は全く使えなくなり、車も、トラックの運転手のような“ぽっち(補助具)”をつけて、左手で運転していました。
 耳鳴り、呂律難、さらには車を運転しようとしてもやり方がわからなくなってしまうということも起こってきました。朝話した話を忘れて何度も同じ話をしたり、電話で話をしている途中で眠ったりしてしまいました。
 ある日、目が覚めると警察の方が家に来ていました。私は下の家の壁に自分の車をぶつけ、その車を放置して家に帰っておりました。
 さらには、ある日目が覚めると、顔に血がついて頭が縫われているんです。どこでけがをしたのか、誰が病院に連れて行ったのか、全くわかりませんでした。
 さらに、ある日、目が覚めると髪の毛がざんぎり頭になっていたんです。自分ではさみで髪の毛を全部切って、頭を坊主にしていました。そばで子どもが泣いていました。いわゆる精神錯乱の状態になっていました。
 ある日私は、夜中に家を出て国道を歩き、女性の方に「命を粗末にするな」と殴られて、警察の方に家へ連れて帰ってもらったこともありました。
 この異常な自分がもういやで、自分が何のために生きているのかわからなくなりました。子どもたちの症状も夫の症状も、どんどんひどくなっていきました。

転居後、数日で体調が戻る

 平成20年10月、上を見上げたときに携帯基地局が見えました。「もしかしたらこれかもしれない」と初めて気づきました。そしてNTTドコモ、沖縄電力、総務省、KDDIに電話をしました。電磁波は体に影響がないという、日本では大丈夫だという話でした。それでも私は絶対にこれだと思い、10月26日に2台の車に3日分の衣服と子どもたちの学用品をつめて、ウィークリーマンションへ引っ越しました。
 引っ越して数日もたたないうちに長女の鼻血は止まり、次女の耳鳴りは治り、三女の鼻血も止まりました。長男の脈も正常に70台に戻りました。夫もよく眠れるようになり、鼻血も出なくなりました。私の呂律難も耳鳴りも無くなりました。そして、約3年間使えなかった右腕も動きだし、10種類18個飲んでいた薬も全てやめて一度も病院へ行っていません。そして今みたいによくしゃべる私に戻りました(会場笑い)。
 そして、私たちは11月16日に、ウィークリーマンションから本引っ越しをし、賃貸マンションへ移りました。夫と相談しました。この話をマンションの人たちにしないといけないのではないかと。しかし、総務省が大丈夫だと言っているなかでこの話をしても、だれも聞いてくれないんじゃないの、ということになって、どうにかならないかと、たくさんのところに連絡をしてみました。すると、琉球大学理工学部教授で嘉手納爆音訴訟に非常に尽力してくださっている矢ケ崎克馬先生から「全ての公害は症状が優先する」という言葉をいただきました。その言葉を後ろ盾に、私たちは住民に話をしようと決めました。そして12月17日、まずKDDIの基地局担当者と夫婦2人でマンションの誰もいなくなった部屋で会いました。そして今の話を全部してから「お願いですからこの基地局をどかしてください」と跪いて頼んだ覚えがあります。
 翌日、18日に理事会へ話をもっていきました。賃貸借契約の解除、そしてKDDIにそれを申し入れることを理事長さんがすぐに決めてくださいました。KDDIに連絡をして電磁波測定が行われましたが、もちろん基準値内ということでした。

マンション住民の健康調査を実施

 平成21年1月、マンション住民への説明会をしたいと私どもが申し入れて3回行いました。全47世帯からどなたが1人でも来てくださいとお願いしました。ところが、私たち家族以外にも、マンション住民の方々にたくさんの症状が出ていることがわかりました。なんということだろうと思い、また2人で相談し、アンケート調査を行いました。しかし、アンケートを行ったら平成20年3月以前から出ている症状もありました。自分は4~5年前から症状があるという住民も複数おりました。これは、記憶が整理されていないなと思い、47世帯に一軒一軒にピンポンを押して聞き取り調査をしました。
 すると信じられないような、ありとあらゆる症状が出てきました。病院の外来の初診問診というのがありますよね、私はそれをやっているような気分になりまして「なんという事だ」と思いながら、まるで仕事をするようにやりました。土日には主人にも手伝ってもらいました。

基地局を撤去

 平成21年2月、KDDIにもこのアンケート調査を見せまして、2GHzは建てて11ヶ月で停波してもらいました。平成21年6月には800MHzも停波し、約10年間電磁波を浴びていたこのマンションは、やっと電磁波から逃れることができました。
 さらに私たちはこのことを誰か、もっと別な人にも伝えなくてはいけないと思いました。新聞、雑誌、テレビ、あらゆる機関に話をもっていきましたが、スポンサーが携帯電話会社であるということで、どこも扱ってくれませんでした。しかし、多くの方のお力で週刊朝日記者の藤田知也さんが沖縄に来てくださり、私たちを取材してくださいました。そして9月18日、『週刊金曜日』に記事が掲載されました。
 その後、全国から「私も同じ」という電話、メール、さらには裁判記録なども送られてきました。本当にこんなことがあるんだと、私たちはまたびっくりしました。
 平成21年11月に最終の聞き取り調査を行いました。その結果もびっくりです。その結果は、主人から報告させていただきます。
 昨年12月に「中継塔問題を考える九州ネットワーク」事務局長の宮嵜周さんのお呼びで、熊本でも同じ話をさせていただくことになりました。そして私たちは本当に幸運だったんだということもわかりました。10年間裁判にずっと関わっている方たちの話を聞いて、私は泣いてはいけないと思いました。「私たちができることを、今日からさらにやっていこう」と2人で話したことを憶えております。
 「なんで基地局を撤去できたのか」をよく聞かれますが、私たちのマンションの基地局担当者がたいへん良い方だったんだと思います(会場笑い)。彼の良心が動いて基地局撤去になったんだと、本当にそのように思っております。不思議な事ですが、この方は基地局の設置専門の業者であって「au沖縄セルラー電話」(KDDIの子会社)の方ではありません。沖縄セルラー電話には私たちの事実を直接、聞いてもらいたいとマンション理事会から要請書を何度も出してお願いしましたが、まだ一度も本社の方にお会いしたことはありません。
 最後に、知る事から物事は始まります。知らないと私のような目に遭ってしまいます。全国に同じようなことになっている方々がいると思います。私はこれからもこの事実を伝えていきたいなと思っております。以上です。




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